毎度おおきに。京都の鍵屋、らびっと清水です。
今回は再登場のダイハツのミラさんです。
ミラという車名の意味は、「羨望」でしたな。
羨望、ここでまた改めて自分が何かに羨望を感じる対象を持っているのかなぁ?とボンヤリ考えなら移動しました。
ん~・・・なんか、特別思い当たらんなぁ~というのが正直な感想。
ヤバイ!ヤバイぞ!何に対しても、あまり心の力が入った憧れとか羨望とか欲求とかが見当たらなくなってきてる!(-.-;)
いや~、待てよ。こういうオフィシャルな所で語れるような羨望がないだけだと気づいたナ。
全くなけりゃ~、そりゃもう山中で修業する仙人だもんね。少しはあってよかった~。
と言っている間に到着。京都の南区、ややスリリングな地域性の特色を持つエリアです。
京都有数のスリリングな地域にベストマッチするかのような、ワイルドな向こう傷をもつお車が待っています。
しかし、電話して戻って来られた運転者の方は低姿勢の優しい人でした。ファッションはかなりパンチが効いていましたが(笑)
年式も古く、鍵穴は至ってシンプルなダイハツ。イージューライダー。
スピード作業、1分で完了。
夜中だったのでいいですが、この車が路肩停車していたこの道路。京都駅の南に位置する中でも交通量の多い危険な道路です。
怖いのでスタコラサッサ~!と車のアクセルを踏み込んで出発しました!
開錠作業の後に運転者の知り合いの男性が現れて話し初めます。
男性 「わし~、昔は鍵屋さんになりたくて憧れた時期あったんやぁ!こんなん、どないしたら成れんの?!やっぱり金とかかなり掛かるん?試験とか難しいん?」
私 『いや~、学校みたいに行くと結構かかりますね~。私はなんか上手いこと流れでお金もらいながら勉強させてもらいましたけど~。とは言っても、そんな華やかな世界じゃないですよ^^;』
男性 「そうかぁ?いや~、今でも憧れるわ~。技術一本でシャッと現れてファッと消えていく、カッコええや~ん!』
私 『そんな風におっしゃって下さると、勇気づけられます~。ありがとうございました~』
ああ、時々こういう風に言われるお客さんに会うなぁ。自分にとっては最早普通の日常でも、業界外の方から見ると、羨んでくださる面も見えてるようです。
逆もまた真なり。私からすると、この業界、少なくとも今の私の現状では得られていないライフスタイルをもたらしてくれる仕事や収入の仕組みを持って生きる方を、羨ましいなぁと思うこともこれまた毎日のようにあります。
あ、これが【ミラ(羨望)】だなぁ。ミラって、ないものねだりのことなのか?
毎度おおきに。京都の鍵屋、らびっと清水です。
今回はトヨタの商用バン、ラウムのインロックで出動してまいりました。
忘れないうちに早速、車名の由来調べにいきます。
RAUM ・・・ 「ラウム」は、英語の「ROOM」に相当するドイツ語で、「空間」をイメージしている。とのことです。
今回の記事を書こうとしていてフと、「ん・・・?なんか前にも空間とかいう車名を調べた気がするなぁ。あれ?ひょっとしてもうこの車の記事は書いちゃったのにまた書こうとしてる?」となり、過去記事を調べる始末。
結果、以前にも有りました。空間という名の車。ただし、言語が違いました。
前に調べた記憶は、ラウムではなく同じトヨタのスパシオでした。イタリア語を元にした造語でしたね。
さてこのラウム、軽自動車ではなくコンパクトカーの分類に仕分けられるのですが、今のトールタイプの軽自動車に通ずるコンセプトが採用されていて、時代を先取りした感があります。
それは、ステーションワゴンに近い位置づけながら、リアドアがなんとスライドドアなのです。
初代の発売が1997年という年代を考えると、なかなか斬新な取り組みですね。
後期型に至っては助手席側のフロント・リアの境目のピラーをリアドアに内蔵した、ピラーレスパノラマオープンドアを採用。
これは最近のダイハツの軽自動車なんかでも見られるようになってきています。
ラウムの名前のとおり、この規格の中でできるだ車内空間を開放的に且つユースフルにするべく心を砕いたのだなぁという設計者の熱意が感じられます。ちょっと使ってみたくなったな。
それはそうと、開錠作業をやってしまいます。
快晴の冬の京都南西部の山沿いの街。コインパーキング内なので、作業はしやすくて本当に有り難い^^
鍵穴はいつものトヨタ、ハーフタンブラーです。
2分で無事に開錠。アリガトゴザイマス。
このラウムも含め、日本の自動車メーカー車室空間の広さを追求する心の強さには敬服します。
やはり狭い国土で限られた車体の大きさ規制。少しでも如何に広く高く、使いやすく居心地良くるすか。
日本人にあっては、車も家も広さへの憧れというか夢が共通概念として有るように思います。
しかし一方では、人口減少がこのまま行くと避けられぬ現状。人は減り、空き家問題などでも話題のようにむしろ空間は余ってくるかもしれない。
しかし、それは日本全体が普遍的にそうなる訳ではなく、より一層の都市部への人口集中や超過疎化のように偏った形で現れる。
狭い都会に目を向けるのではなく、そもそもまず心のラウムをもっと広くもって、色々な視野を広げる必要が有るのではないかなぁ・・・と個人的には思う今日このごろです。